我喜屋良光さんのこと少々

季刊「カラカラ」最新号に我喜屋良光のインタビューが載っている。見開きで藤木勇人のインタビューが併載されているのは偶然ではないはずだ。我喜屋良光×藤木勇人。地元の人にとっては笑築過激団できっとおなじみの二人であったと知ったのはしばし後のこと、当方にとってまずはなによりも、りんけんバンドのフロントマンの両端としてまず記憶された。「指笛が吹けないウチナンチュ」藤木が主にツッコミで、我喜屋がボケ役であったと思う。まず藤木が脱退し、生身の芸人として私たちヤマトの前に現れた。思い出すのは11年前のこと。初めてのコザ入り、初めてのてるりん館入り、そこで初めての藤木勇人うちなー妄想見聞録……そのゲストが我喜屋良光だった。題目は忘れかけているけれど、たしかバス亭での出来事。ヨシ坊ではなく藤木が酔っぱらい役でヨシ坊にからんでいく凝ったパターン。うちなーぐちが十分にわからなくても抱腹絶倒。活き活きとしたかけあい。その打ち上げの席にも参加させていただき、ここでも早いテンポで小ネタ連発であった。とはいえ今でも復唱できるのは「沖縄三大珍味」くらいで、嫁さんに聞かせるとしょーもないと言われるだけなのだが。初めてコザを訪れたのは藤木「たーちまーちゅー」勇人に誘(いざな)われて、であったが、その背景には我喜屋良光の存在は大きかったのではないか。ただこのコンビを目の前で観ることができたのは当方にとって唯一の機会となったのだが。コザあしびなー柿落としも忘れがたい。フォークの日、佐渡山豊「酔っぱらい」の曲の途中、一升瓶を持って客席から現れたヨシ坊。広いホールをマイクもそっちのけで思う存分「酔っぱらい」役を演じた。その後、ヨシ坊のライヴを観る機会は減って、いや沖縄へ出向く機会じたいが減っていった。ヤマトで一度だけ「佐渡山組」として独演した際は精彩を欠いていて、その直後から思いがけない紆余曲折があり、そのことに対する、自分らの偏見を指摘されながら、思い入れを戒めながら、そうではあったけれども今年になってCDが発売されて、コザの仲間たちとの動きを見せ始めていたわけだが、それでも、おやっと思う気持ちに変わりがなかった。R.I.P. BGM:りんけんバンド「gongon」から。