藤木勇人・うちな〜妄想見聞録

早起き。昨日は12時間連続して飲んでしまった。晴。朝、市場の近くで沖縄そば。南京食堂の建物が改装工事をしていた。午前のうちキャンパスへ忘れ物を取りにいく。社長が店番だった。作詩の現場にたちあう。

バスで那覇へ。どうして私は急いてしまうのか。もっとコザでゆっくりすればいいものを、追い立てられるように次の目的地へと進んでしまう。そんな気分を見透かしたかのように大山経由のバスはトバす(「青信号では進んでください」などと前の車に対してアナウンスしている…書いてもいいのか…)。久しぶりに公設市場の中国茶店を目指すがシャッターが降りていた。GET HAPPY RECORDS もそそくさに、どう時間をつぶそうかと、ふと、とまりんへ。テナントが一店のみ、廃墟となったビル2階のテラスのベンチに寝転んで時間を過ぎるのを待つ。泊港の全景。久米島から到着したフェリー、どこかの拡声器から途切れなく流れるアナウンス、子連れの若い母親……sitting on the dock of the bay……ここには、まだテナントが一杯だった頃にも佇んだ、わが家族は少なかった頃だが……wasting time……前島付近へ。昼間のストリートガール、屋外で用を足す老人。曲線のバルコニーが印象的なシティコート那覇までやってくる。ここへ生前の父親もいっしょに家族で泊まった。家族旅行としての沖縄……初めてのパークアベニュー、高原交差点の島唄、南部戦場巡り、カウントダウンは喜納昌吉ボ・ガンボス……あの新年から12年。思えば90年代の自分には沖縄がさまざまに反映した。何ら主張することのない、パーソナルなライフヒストリーとして沖縄を担ぎ出すことに不快感を洩らす輩も居られるだろうが、個人の立場から沖縄を語ることを許されよ。
川沿いに国際通りへ向かう。ネムノキの赤い花が咲いていた。目的地は、まるみかなー。本日は定休日が日曜に移った最初の日。3時5分に到着すれば既に明りが点灯していて感動する。ツカサ先生と再会。てづくりケーキセット。奈良県嘉手苅林昌ファンの話。まるみかなーオリジナルTシャツを求む。国際通りを歩いてエッカアネックスへ。4825円、これは楽天経由。
今宵はめずらしく那覇地区ではしごを敢行する。まず御殿山そばへ向かう。県庁前からゆいレールに。那覇市内を高い視点で臨んだ景色、白い街並みが美しい。地図で首里石嶺付近を下調べしたところ、ゆいレール儀保駅から充分に辿れると判断したのが誤りだった。坂道をどんどん登っていかねばならない。明るいうちに確かめておかないと焦ったら左足が痛くなってきた。坂道を登りきった高台に「ゆんたくそば御殿山」を確認、そばを食べることはできず近くのスーパーで弁当を立ち食いしてから開演を待つ。以上が長い前振り。
藤木勇人・一人ゆんたく芝居「うちなー妄想見聞録」2000/2500。御殿山そばは古い民家そのまま、庭に面した大広間の一コーナーを向いてお客が座り込む(中村家と逆です)。てるりん館よりは広いが中村家の規模ではない。ひとつめ「沖縄そば」はこの狭い空間ではおあつらえ向きで、藤木さんの表情がよく伺え引き込まれる。てるりん館で初めて藤木さんの芝居を観た感動が甦った。ふたつめ「夢食い人・貘」。新作ではないが当方初見。貘の粗末な自宅にウチナー出身の泥棒が進入する導入は見事。泥棒のモノローグから貘とのやりとりへ。途中、泥棒に聞かせる設定で挿入される詩の朗読(「会話」「弾を浴びた島」他)は貘の肉声にスイッチしていく。45分を超え「白砂の思い」以来の大作である。だが(と以下、批評を気取りたいと思う)藤木勇人の一人芝居としては未完であろう。
まずテンポ。最初、藤木演ずる貘が朗読する「会話」がいかにも先日発見された自演の音源に似せてるなーと思いきや音源そのものと交差しフェードアウト。これはETVほか教養番組が映像で濫用する手法であるが、生身の芸人が行なうのはいかにも惜しい。あの音源が随所に挿入されると、藤木さんは紹介する司会として脇役となりはしないか。特に後半、詩の朗読が入り込むと明らかに舞台の流れがたびたび止まってしまう(実際、客席の小学生の子が欠伸する時間となった)。
またリズムに関連して今回思ったのは、やまとぐちが多くて、使用されるうちなーぐちをほとんど聞き取れたこと。これは当方が進化したわけではなく、何を言ったのかと感じたうちなーぐちには必ず訳が挿入されていたから、痒いところに手が届く出来は意図的だと思う。かつて「当世うちなんちゅー事情」シリーズではうちなーぐちをまくし立てられ、地元客の大笑いに見事に置いてきぼりをくったのと、つい比べてしまうのだ。少なくともお互いが沖縄出身とばれた以降はうちなーぐちをまくしたててもよいのでは(ファンとはあーゆえばこーいう贅沢な類です)。そもそも出だしが落語ふうに始まるところからして別のシリーズとみなすべきなのだろうし、過去の業績にファンがこだわる必要はないのだろうが……。
もう一点。藤木勇人の題目は、登場人物の悪役度が高いほど面白い、とみなしているのだが、そのテーゼに照らすと、泥棒が獏を即座に絶賛〜賛同してしまい、狂言回しとして威力が減っているのが惜しい。獏の妻、娘らの登場ももっと活かせそう、みんないい人なのだけれどね。そういえば幕間に佐渡山豊の「会話」が流れていた。彼でさえ一曲を録音するのに相当な年月を課したと聞く、そして美しい語りの唄が完成した。山之口貘という相手にとって不足はない。藤木勇人じしんがヤマトとウチナーの間を思索の源としてきた。それだからこそこの偉人を偉人としてではなく突き放してほしい気がする。朗読まで似せてしまうのはいかにも惜しい。今宵のトークでもヘリコプタ墜落のニュース報道をめぐって鋭い観察が披露された(ここでは種明かししません)。このトークにこそ現代にいきる山之口貘の精神が宿っているのである。どんな主義主張にも収束されない独自の世界である。とはいえ「ちゅらさん」事件を幾度も挟んでもなおペースを崩さずに活動している姿をみせてもらった。
終演後、あいさつもせず通りへ出る。タクシーに「勢理客交差点」と告げるとうちなんちゅーと勘違いしたのか運転手は猛烈な勢いで私語を続ける。きょうは儲けが少なかった、運動会があるとあがったり、名古屋で(京都だったが)キャンプをしていて小学生に火が移った、この店はおいしい、新しい道路が出来ても渋滞ばかりだ、……。しかしテキパキと裏道を縫って勢理客に着く。