寺島珠雄書簡集(龜鳴屋)

本書が出版予告が最初に載ったのは何年前か。単に寺島珠雄だからというわけではなく、石野覺宛であることが、当方にとって必携の出版であろうと踏んでいた。書が届き、慌ててぺらぺらと、案の定、私は本書に登場していた。読み流せば、なにか迷惑をかけた人物のように思われる表現だが、ここで弁明すれば、石野氏に氏が編んだ「寺島珠雄詩集」を注文した(せがんだ)だけである。私はアナーキストでもアンチクライストでもない。

寺島珠雄には一度だけ会ったことがある。それも沖縄・コザで。那覇に移る前の、宮里榮弘芸能館で。どこかの大学の研究室のうちあげか、と勘違いしたのだが、若い女性らに囲まれ、カチャーシーで場を盛り上げ、人望を集める「ツカサセンセイ」と呼ばれる人物は帰宅後、小浜司氏だと判明したのだった。初老の男性が当方らのすぐ隣りに、彼が寺島珠雄であった。その直前、那覇のゲット・ハッピーレコードにてたまたま「アナーキズムの内外で」というイヴェントのフライヤーに会っていたから。この日はコザへ移動するはずだから(何よりも単身ではない滞在だから)参加はかなわかったのだが。帰宅後、まだ簡単に入手できる環境であった寺島珠雄の諸作を求め、本人に手紙を出し、「低人通信」の〈不定期〉購読者となった。当方の立場では、寺島珠雄川崎ゆきおと並んでいる、そんな位置づけである。石野氏ともいくつか文通したが、当方の怠惰から中途となってしまった。

Janis Ian

YouTubeで白髪のジャニス・イアンをみた。驚いた。同窓会で初恋の人に会ったような気持ちだ。ただ雪村いづみの「昔のあなた」の感想をとびこえてしまっている。いったい何歳?テレビ番組のゲストでソファに座ったままインタビューを受け、最後のコーナーで「at seventeen」を唄った。インタビュワーはちょっといじわるそうな顔で、声の出にくそうな箇所をさがしている(ような)。もう、いや、まだ66歳。その番組では60を越えたところ。では「17歳」をうたったのが何歳かというと24歳。24歳で「It was long ago and far away」とは!。番組ではその箇所でわずかに表情を崩して歌ったようにみえた。いやそのフレーズにふさわしい年齢ではないのかと思うけれど、他のビデオではたしかに24歳でそう歌っている。
 そういえば。小松左京の「哲学者の小路」で生じるタイムラグも(設定上)わずか10年ほどのものではなかったか。当方は30年経っても、40年経っても、まだ昨日のことのように、年相応の、という振る舞いがわからずにいるというのに。

穂高亜希子、青木智幸+望月治孝@みろくさんぶ、静岡

泊まらずに帰宅するためには途中まで車を乗り付けねばならない。久々にJR四日市駅近くの駐車場に停める。快速みえで名古屋へ到着する寸前に一瞬、Zepp名古屋が視界に入る。今宵はジャクソン・ブラウンの公演だ。足を運んだのはいつだったのか、忘れかけていたのだが帰宅後に調べてみると1980年11月ではないか(前年のEagles,Maria Mulderとアメリカン・ポップスづくし)。いまは亡き愛知厚生年金会館、向かって左後方だとしか覚えていない。コンサートのなかば、ニューアルバム冒頭の曲が始まると空気が変わり、バンドとしてのまとまりも出てきて当方の耳には活き活きとしたものに感じられたのだが、このアルバムはファンでは評判が悪い(とブログの誰もが書いている、どういうわけか)。しかし今宵、37年ぶりに再訪するわけでもなく、ひかりに乗って静岡へ向かう。

グルグル祭り@Tokuzo

マニ・ノイマイヤー来日20周年記念のグルグル祭り。さてTokuzoだけでも幾度目の開催になろうか、どこか春の便りを感じさせる恒例のイヴェントだ。そういえば6年前の3月11日の晩も予定どおり行われたのを思い出す。脇をかためるのは吉田達也津山篤河端一の盟友。この3名が4プロジェクトを演ずるJapanese New Music Festival Petitを皮きりに、打楽器二人羽織のManitatsu、Acid Mothers Guru Guruの3セット。赤天では吉田達也による新作楽器「カメリンバ=カメラ+カリンバ」を披露し、Zoffyの新曲は「Rolling Stones On Led Zeppelin with Pierre Henry」(えっ?)といった具合。数々のお約束を真剣に、飄々と取り組む50代男たち。音楽の楽しみ方ってもっと自由なんだと気づかされるばかり。そしてマニ・河端・津山のAMGGは60分に届くセッション。今宵も「Electric Junk」の再演こそあったけれど、昔の名前で…とは無縁の、スポンテニアスで、壮絶かつ容赦ない相互作用の連続。だってマニさん、昭和15年生まれ。でも当方にとってマニさんとはロック史のひとコマではなく、あくまでもTokuzoのステージで汗を撒き散らす存在なのだ。最良のかたちでマニさんに出会えた気がする。(Tokuzoマンスリー5月号「live review」)

Tomoyuki Aoki Harutaka Mochizuki @Namba Bears

この日、タイバンに当方の見知らぬデュオが立った。テルミンを2台、一人は若き女性だが、もう一方はええ年格好のおっさんがギターもかかえる。当方、関西アンダーグラウンドに精通しておらず、ただ集客の具合から(失礼)さほどレジェンドでもない人だと推定したが、それにしてもロック風に着飾った風体がどこか勘違いしているようにみえる。それはそうとして。さて演奏は2台のテルミンエレキギターが乗っかるのだが、そのギターの力のなさが気になった。下手ならば、New Orderのように、それなりの味をだせばよいのに、またそのキャリアーなりの、自身の音楽に対して内包しているものをみせてくれるとよいのに、本人が何かに似せて、演っているところが、無自覚にみえた。こんな空しい音楽がBearsに出るのはめずらしいのではないか。帰宅後に、このミュージシャンは某公立大学の教授であることが判明、しかもその独断的で虚栄につつまれた言動がふだんより苦々しく目立っていただけに、納得。あたかもブラインド・テストに合格した感じであった。平岡正明のいう「言文行一致体」を思い出した。

おまつとまさる氏 @元田中ZANPANO

叡山電鉄の一つ目、初めて降りる駅。その駅舎を広いガラスから臨むことのできるビルの2Fが会場の喫茶店。松倉さんが、こっちどうぞ、と前を勧めていただいたが少々後退して着席。チャイミルク。対バンはAZUMI、気持ちよく歌う分だけこちらは離れてしまう。津に帰ることのできる最終で。

Victoriaは70年代のバンドですが

  • Victoria - s/t (shadoks,CD)某ネットショップより。

昨年の後半に当方が熱中したもののひとつに、JA(Jefferson Airplane)フォロワーをフォローした。そもそもJAじたい、ちゃんと聴き込んでこなかったわけだし、フォロワーといってもJAとはなんら関係なく、60年代後半で紅一点がいるというだけの情報を頼りに(上記も70年代に入って、と既に例外だが)、今更、という声をあろう。しかも既にオリジナル盤など入手困難とあきらめたうえで物事を始めていく、そのイージーさじたいCD普及の弊害とも言えるのだが。CD化という名目でどんな音源も横一列に復刻されていったこともCDの功罪であろう。本来、或るレコード店にて遭遇したレコードに一喜一憂する、という《物語》が成り立っていた。現在でもそれは可能なはずだが、忙しさを理由にサボってきたわけで、つまるところ本稿は自業自得の話か。これにインターネットの普及が相伴って(ちょうどCDの普及の時期が社会人になった頃と重なったこともあって)当方にとっては音源との出会いが変わってしまった。ネットショップではどの店で出会ったのかは二の次にされてしまう。先方の事情ではなくこっちの都合で集めてしまえる状態に。FalloutやShadoks、Radioactiveなどのレーベルものを次々とチェックしていく。近所にそういった音源の持ち主が居れば通い詰めて勉強させていただくだけで十分かもしれない(そういう人物がいないわけでもないけれども)。かつて輸入CDなど2180円といった通例があったものの、現在では送料込みでも単価千円未満で入手可能となればついつい進めてしまう。いくつかはCDにもかかわらず既に廃盤扱いされていたが、そういった情報さえ怪しく、ほんの少しだけ時間をかければプレミア価格でなく手にすることができる。要は、金さえ(ケチって)払えば気楽に手に入る、ということ。ただしここで入手できた音はあくまでも代理品でしかない。かつてFM雑誌の折込付録だったカセットレーベルを挟み込んだカセットテープと同様のパッケージにちがいないではないか(オーディオの観点からはまた別の話となるので省略)。紙ジャケではその幻想度は高いにせよ五十歩百歩。1980年代の真ん中、音がよい、手軽、そしてボーナス・トラックが入っている、などなど様々な触れ込みで確実に移行していったCD、いったんは普及に成功したという点でエルカセットほどには扱われないものの、フロッピーディスクあたりとどっこいどっこいになっていくのではないだろうか。 CDというものは壮大な仇花ではなかっただろうか。部屋を圧倒するプラケースのあの厚みは薄っぺらいCD側の精一杯の抵抗のようにさえ思える。