ジ・エンドそして私たち!?@SpiralMart

静岡駅で帰りのムーンライトながらの指定席券を求めておく。会場へ向かう途中、幾度か浴衣姿の家族連れとすれ違う。七夕の夜、家族を放ってお前は何をしてきたのかと。1500円。5月とはうって変わって、多くの人影をみとめる。望月治孝、馬場陽太郎、そして豊岡健吉とくれば2年前の1月に初めて踏み入ったSpiralMartでの出演者。このハコが7月いっぱいで閉鎖されるという。当方に縁のある企画の最後。
望月治孝。アコギ弾き語り〜サックス・ソロ。5月で初披露したオリジナル曲、その際には端正な正調であったとしたら、今宵は早くも他人の作品のカバーのように再解釈に挑戦する。そして当方にはおなじみのサックス・ソロ、とはいえ(再掲だが)パフォーマンス性はより後退し、音に集中していく方向にある(エアコンのスイッチをめぐるやりとりも好ましい)。みずみずしさではサックスに軍配が上がる。
馬場陽太郎。非=地元として初お目見え。この2年半、ついにレパートリーを換えることはなく、幾重にも変奏曲を繰り返してきた。今宵もまた、志を変えないことを主張する。chaos的なギター弾き語りというスタイルを進めてほしい。
豊岡健吉。彼の持ち時間を説明するのは難しい。山羊乳を使ったヨーグルトが振舞われるなどいくつもの仕掛けを用意してくれる。本人の純然たるソロは「別れのサンバ」くらいで僅か。いわば《豊岡健吉とその仲間たち》の趣で、手なれたブルースや「私の青空」など。現在《ジュニア健吉》として昭和歌謡の歌い手として修行の身となってしまったいま、今宵SpiralMartに出演してくれたことを喜びたいと同時に、おそらく必要なことは当方のような《マニア》のための存在ではなくなること、なのだと思う。ここでいう《マニア》とは以下の如く。当方が2年半前にとりこになったスタイルは実はその夜が終焉を迎えていたことは再三知らされているのに、彼を見守ることにまだ率直さを持てないでいること。例えば(再掲だが)彼が「サルビアの花」を歌ったとき、その歌唱は美しくとも、《復活》した早川義夫のあまりにもスタイリッシュな、陳腐な装いを思い浮かべざるをえず(黒沢進さんも採り上げなかった…)、ならば《赤い河》のオリジナル曲のみずみずしさにはとおく及ばないと。そう考えてしまうような《マニア》の弊害を排することが重要なのだと。
ジョージハリソン研究会。これはDead Men's OrchestraのReiさんとYamadaさんのデュオ。el-gt2本による即興。こんなかたちに喜ぶのがマニアであろうか。いや《かたち》なのではなく当然中身である。Dead Men's Orchestra時よりも、伸び伸びとした演奏となった。一曲数分扱いとなったことも力みがとれる機運となったか。ブルースを基調とした曲。う〜ん、こうなるとDead Men'sの将来は如何に?