不快の証明第2回@SpiralMart

mabuya2006-07-09

午後から出発。向こう3ヶ月で静岡を訪れることも多々あろうと新幹線回数券を購入する。先に静岡アートギャラリーに立ち寄り「ラウル・デュフィ 美、生きる喜び」を観る。ビルの一階を占める、静かな場所。夕方の閉館間近だったので客は当方のみとなっていた。大回顧展ではない。《コンソール》ものは一枚かろうじてあったが《黒い貨物船》は一枚もなく作曲家に捧ぐモノもない。絵画は少なく、デュフィがデザインした織物など、商業上デザインの下絵などの展示が多く、当方にとってはかえって新鮮に映る。この規模にふさわしいプライベートな趣。デュフィの展覧会で頭に鳴り出す音楽は決してサティではなくドゥルッティ・コラム、しかもファーストに収められた順に、なのである。83年の西宮でも、90年代の豊橋、ほかどの会場でも鳴り響いた。物販ではデュフィ柄のネクタイやスカーフなど即売していた。カード不可とのことで諦め、久しぶりに図録を求む。
http://www.cedricbrochiersoieries.com/index_en.htm
曇り空ながらどこからか花火の連打が聞こえてくる静岡市街。半年ぶりのSpiralMart。1500円。望月治孝。直立して歌詞の書かれたメモを持ちながら「港のみえる丘」を歌った後、サックスへ。間の取り方が5月静岡とちがう。断片/持続と上昇/降下と、時間を思うままに操り、音が聞こえていない時間も惜しくない、望月くんのソロが還ってきた。ところでサックスを吹く望月君のアクションはどことなく昭和期円谷プロの怪獣のようにもみえた。見上げるようなアングルで観たせいか。今回もビデオ×DAT×カメラ持参ゆえ収録する。関西ではほとんど誰かが記録していることを考えれば過剰な行為とは思われず。馬場陽太郎、el-gの弾き語り。ご本人は或る場面で《フォーク》だと自己紹介していたが《ロック》にほかならない。ギターの散乱度は低かった(音量も)がその分ボーカルに比重が置かれていた。少しずつ新曲を交えた構成。一曲、RCのカバーだとは後で知った。馬場くんのライヴは来週18日(火)川口雅巳とジョイントあり。キキミミズ。和田さんのソロ・プロジェクト、ac-g弾き語り。いつも和田さんはギターをかかえると1,2分ピッキング・ソロで空気をつくる。しかし歌が始まるとギターは饒舌さを止め、シンプルな、ヌエバ・カンシオンのように言葉を引き立たせる、飾らない演奏へ移っていく。唄もまた情感におぼれることなく、切れ味をキープしていく。ポスト決意表明に踏み出していると踏んだ。最後にセッションとして頭脳警察のカバー。冒頭、和田さんより本日の入場数についてコメントがあった。実は観客が出演者より少なかったのだ。普段なら主催者でもないのに申し訳なくて…というジョークにならぬ反応なのだが、不思議と今宵は雑念に捉われず集中していた。会場を去るにあたり、主催者=演奏者の負担を考えると集客の問題は現実のものとなって立ちはだかる。ある程度のポピュラリティを求める必要があるのか。《…自由を謳いながら一つのカテゴリーに固執し排他的になるか、逆に何もかもいち早く取り込むことのみに腐心して鵜呑みにし、その実中身を全く感知せず一時的に皮膚感覚のみ楽しんでは吐き出して移っていく所謂、消費専門家の持て囃される時代である。現状を見、自分の目的に向かって歩きつづけることは至難の技であるといっても過言ではない。…》(「ロコ高柳&ロスポブレス」のライナーから)