Japanese New Music Festival @Helluva Lounge

 近鉄阪神なんば線にて元町下車。ルミナリエとぶつかってしまった。地上に上がれば、既に駅南の交差点には警察の街頭車から婦人警官が拡声器で何やら叫んでいる。元町から三宮方向へ流れるために、そのスタート地点である元町の流れを作ろうとしているわけだ。で赤万餃子を食べた後、まだ時間があるのでRhythm Kingへ向かう。ところがアーケードの商店街がルミナリエへ向かう大きな流れの一部を受け持っているためか、既に一方通行で大勢の人々の流れが形成されており、その勢いから店先を守る目的と思われる柵が商店街の両脇に切れ目なく並べられている。ただしこの時点では流れの隙を狙ってすぐに渡ることができた。Rhythm Kingにて、近年のマイ・ブームでバルバラの日本盤、それと手持ちの盤状態が悪かった西来路ひろみをアナログで買いなおす。さて来た道を戻ろうとすれば商店街が既に人々の流れで埋め尽くされており、増水で決壊寸前の川のようにみえる。横断するのには指定された箇所にて警官の誘導を待たねばならない。人手による交通整理が行われるわけだが、警官が止まれをかけてロープを張っても人々は強引に押しくぐっていく。その光景にみとれていたら今度は自分が後ろから押され始める。商店街の路上には三方から人が押し寄せており、ただ後方からの力で自分の意志とは無縁に進んでいくわけで、結果として前方に位置する人を自分が押してしまう。「すみません、後ろからなんです」「いいですよ」と会話は和やかなものの、これが子連れだったらいつぞやの花火大会と同様に事態に発展してしまうのではないか、そういえば手にぶら下げたアナログ盤の消息は、と気づけば既に無理な力が加わっており、なんとか救出させる。わずか2,3mの移動にエネルギーを奪われる。いったいぜんたいルミナリエとは何なのか、そういう自分も2年目のときにわざわざ見学にきたことがあった。路地裏にはまだ震災の跡が残されていた頃のこと。嫁さんのおなかに子どもがいたが、これほど殺気立った雰囲気ではなかったはず。
 群集の向かう方角とは直角にHelluva Loungeに到着。2000+500。開演時間近くになって若者が集まり出す。恒例のJNMF、凱旋公演。昨夜大阪へはお伺いすることができなかったが、より「音楽的」であったという。さて津山篤ソロから。el-bsを主にディレイを加え、混沌とした世界。津山ソロは何が出るかわからない。河端一ソロ。凱旋公演のお約束で英語MC、ピックを使わない演奏だと前置きし、最近多用する金属の円盤をプリペアード使用。先日の体験からすればフロア中央が最適なのだが今宵はビデオ撮りを敢行しているため最前列で。JNMFならばビデオ、という安易な選択肢に自己嫌悪を抱きながらも若者らを押しのけて最前列に居座り続ける。河端ソロのみミラーボールが使われた。ミキサー氏が興味深い色分けをする、すなわち、津山ソロ(途中から)、Zoffy、赤天、Zubi-Zuvaにおいてはステージを明るく照らし、一方、河端ソロ、Ruins-alone、AMT SWRでは照明を落としたままだったのだ。これを単に色物/非色物の基準だとはいえるはずがないが、ビデオを撮る立場からするとありがたい。Zoffy。何をやってくれるのか。新作ではなく、果たして、おなじみの題材が披露された。ただしZoffyとして既に完成された伝統芸のクリシェたる再演ではなく、たとえばマイルスであれば、当初の一発芸から津山による形態そして実際の演奏内容へとシフトさせていたし、奇妙な設定じたいがすぐにのみこめないにもかかわらず演奏を経由すれば納得させされてしまうのも力量か。「ロックンロール」もまた編曲の初期衝動から数年を過ぎて、ネタの面白さから味わいへ、よりドラマティックで飽きのこない津山のパフォーマンスも当然の出来ばえか。Zoffyのレコ発は行われるのだろうか。Zubi-Zuvaはそもそも男性ポリフォニーに端を発しているが、それを離れて、もっとも自我の緩む世界である。

  • Kawabata Makoto - White Summer Of Love Dreamer (LP, Blackest Rainbow)
  • V.A. - Fall Into Darkness Festival DVD 2009 (DVDR, Fell Studios)