ライヴ・イン・トーキョー1988

予め「三部作」と名づけられたことに違和感はなかった。NHKが関与した三部作、権利が難しくてリリースは困難と思わせた三部作、ところがそうではなく、NHKが関与していたからこそ?オフィシャルに音が残されていないという事実が露わとなった三部作。結論として、コンサート全体が発掘される《奇跡》が3度起こったという意味でも三部作なのだ。とはいえ個人的には二十代をカバーされてしまう三部作でもあるのだが。1988年の来日、これは当方が唯一生で聴いたピアソラ。6月13日、愛知厚生年金会館。そのハコも既に閉鎖されてしまった。仕事2年目、開演ギリギリに到着した。五重奏団のアンサンブルが幾度か乱れた。座席も後方だったから、ミルバとのやりとりを視覚的に楽しむにいたらなかったのか。正直申せば五重奏団単独の公演だったらなどと考えて臨んでいた。当時、手元にあるピアソラのCDは数枚程度(いまではゆうパック箱に数箱)。自身にとって初のライヴ体験となるのが歌モノだということに抵抗があった。いまとなっては贅沢なことなのだが。因って。この音源を聴いて鱗が落ちる思いだった。ダレない(「忘却」でさえ!)、エンタテインメントあり(「che tango che」)、何よりもミルバの歌、よいではないか。当時、なにか抵抗が入ってすんなり受け入れられなかったような気がする、いまのほうがすんなり聴ける、自分の「耳」が成長したと手前味噌になってよいものか。とスムーズに導入できるのも本作を聴く直前の「講義」、他でもない、斎藤充正さんの「新・音樂夜噺」が効いていたと思う。解説(原稿用紙86枚)はピアソラとミルバに限らず、ピアソラの歌モノについても網羅されていて、当方苦手な固有名詞を見てもジャケと音が頭の中で鳴り響く(「アディオス・ノニーノ」)。ピアソラディスコグラフィの中の、歌モノの側面が浮き彫りにされていたから。もうhistoric とか legendary と分類する必要がないし、個人の追憶を脇において対面できる盤になった。もうこれからは、したり顔で「88年のライヴは精彩を欠いていた」などと決して言うまい…。