望月治孝アルトサックスソロ@日専連ホール

定刻にて仕事を終える。行けるときに行っておこうと、いつもの、静岡駅に停車するひかりに乗車。エクスプレス予約のカードを忘れてしまったので自由席で。週末夕方の新幹線は込み合う。サラリーマンたちの例外なく疲労しきった身振りに中てられるまもなく下車。望月治孝のアルトサックスソロ連続3月の第二弾、先月はお伺いできず。既に数名、片手以上に客の姿あり。さて望月くんは真っ暗にしてやりますけど、と言う。なんだ、ビデオ持ってこなくてよかった、などと安堵する。とはいえ、わずかな人数なのにマイクが3本立ってるとは!とコメントされた方が居られたが。8時開演。サックスのレバーの開閉音を多用するパートから微かな高音の持続へ。今宵40分の間、望月くんは安易に吹き過ぎることには着手しなかった。復習すれば、サックスのソロ、と聞いてイメージされる音の流れ、ブロウ、緩急、それぞれをつなげていくことが各自の差異として成立する。先日の循環ブラザーズではないけれども、ノンブレスの持続音で勝負すれば各々の限界で時間も決まってしまうようなもの。そういう点では、望月くんを呼ぶのはサキソフォニストと言うよりもむしろインプロヴァイザーだと。初めて接したとき、他の楽器への接近、素朴な歌を織り交ぜていったからか、ずばり、there系、と位置づけてしまったが、その後、幾度かの変遷があり、昨年からサックスのみへ戻ったという。説明がはしょるけれども、ブロウすることも要素のひとつに過ぎないとすれば、そのブロウイングは更に研ぎ澄まされたものでなければならないはず。今宵のライヴに戻れば、後半、その緊張の持続が弛緩してしまったことは否めない。衝立(ついたて)にぶつかったあたり。ならば、これまでタイバン時のように15分ほどで形をつければ解決するかもしれないが、それは解決というより停滞であって望月君の欲するところではなかろう。そうではないことが、聴き手としても新たな立場を強いられていくことにもなろう。ビデオ撮りもなく労力もない立場にもかかわらず気がかりだったのは、当方がわずかに持ち込んだ録音機材(Korg MR-1)のポケットバッテリーから洩れた青い点灯が意外に主張し、深闇を薄めてしまったことか。闇、といっても深闇とまでゆかず、繁華街の喧騒もかすかに残り、望月くんの姿を十分に追うことができたわけだが。終演後に千円札を手渡す。交通費とチャージの配分が残念なのだが。打ち上げには参加せず帰路に。新幹線内の、行きよりもさらに疲れきった様態のサラリーマンらに取り囲まれ名状しがたい閉塞感にて乗車。