a qui avec Gabriel, 河端一INUI @ Helluva Lounge

毎週木曜日は早退することができない。それを承知で神戸へ。人身事故の余韻か、JR大阪駅のホームには電車を待つ人々があふれており、更に到着を遅らせる。Helluva Loungeに着くと幕間のBGM、ちょうど、さんましめさばが終わったところだった。今宵は2人編成であったと聞く。1800+500。ステージでは早くも河端さんが準備をしているため急いでマイクを立てる。(いまこれを記しているのが既に彦根の後なので記憶に多くのフィルタが入ってしまっている。ならばきょうの日付で記せばよいものの、はてなdiaryは遡って記載可能なので義理がたくライヴのあった日に設定して記している)、a qui avec Gabriel のソロに続き、「ぜいたくなこと」とアキさんの前置きで早くも共演が実現する。最初の一音、アコーディオンとドローンとが融合する瞬間がすべてに思えた。今宵ではDuoいうより"a qui avec Gabriel "avec" Kawabata Makotoに近かった。トリは河端一 presents INUI。いきなりシュルティボックスの濃厚な音圧にミキサー席のスタッフ陣がフロアと定位置とを慌しく行き来する。この強力な持続音の楽しみ方は決まっているのだ、フロア中央(やや後方)に位置すること。すると360度、音に囲まれることができるから。INUIの何枚目だったか、美しいアコースティックサウンドに、ともすれば耳を逆なでするような持続音が入っていて、某レーベルが発売を拒否した云々とお伺いしたことがあったが、INUIをライヴで体験することによって初めて渾然たる世界がすんなりと響く(とはいえINUIライヴとは極めて稀な機会でしかないのだが)。ほかブズーキ、ハーディガーディ、アコースティックギターエレキギターが使用された。大阪泊。

  • Zoffy - Pictures At An Exhibition (Nebula M78 Records)

わすれろ草、オーロラ@K.D.Japon

日曜日の午後、小春日和の中央線高架下、時間は過ぎていく。2時開場/3時開演という触れ込みであったが実際に入場できたのは2時40分を廻ってからであった。2500+500。わすれろ草はCDRで予習済み(いちいちこんなことを断るのもヘンですが、ライヴに臨むとしてひとつの態度表明です)。ゑでぃとツユコさんの女性コーラス、あるいはイッペイさんのハイトーンの声を活かしたハモりがゑでぃまぁこんにない特徴か。ゑでぃまぁこんの「新しい場所」が更に「四季」派(丸山薫)と化したような「レム王子、旅に出る」が美しい。続いてオーロラ。Sax+Bs+Dsのトリオ、といっても川端稔Saxのが素っ頓狂な唄を歌ってから即興に入るパターン。それと集団即興との落差も聴きどころか。しかし当方、わくわく感は少なかった。その一本調子の唄がどうも耳にさわってしまう。歌うときは故意に直立不動で、戦前歌謡へのオマージュと思われるのだが。当日のフライヤーで、年末に塩屋でゑでぃまぁこんワンマンがあることを知り、とても行きたくなってしまった、そういう効果のあるライヴでもあった。

20 Guilders レコ発@彦根・カフェ朴

午後出発。先月の反省のもと、会場が駅に近いという情報もあり(つまり飲酒を前提に)JRにて出発。時間の遅くなる復路に関西線は使えず名古屋から近鉄を利用するしかないことがわかっていたので「津→名古屋」で一枚の切符を求む。直通であれば快速みえで750円で済むところがなにせ関西線〜草津線東海道本線経由なので値が張る。とはいえ、往復の路が異なるのは楽しいもの。日中は祭りで賑わったという彦根市内だが既に人通りの少ない駅前の通りを歩く。体が冷えて尿意をもよおす。護国神社の境内は既にまっくら…しかし手前に大きな手製の看板があってカフェ朴はすぐに確認できた。2000+オール一品500。店に入った左手に木製の不ぞろいなテーブルが並ぶ。また右手奥が靴を脱いで利用する座敷スペースであって、これがステージにもなる。まず田畑さん同級生によるスペシャル手製のカレー〜焼酎〜おかず盛り合わせ(これがおいしかった)〜焼酎。トイレは店のすぐ外、しかるにシャッターが降りている…夜間は自らシャッターを上げ下げして使用するのだと使い方を知った。最初は地元の青年、北沢ロマ。これは佐野元春風?(勘違いか)、手馴れた英語のフレーズとメロディアスなポップ調。村岡ゆか。真正面で聴く語りは、ベース・アンプからダイレクトな音とも迫力あり。そして20 Guilders。これまでにも大阪、東京、名古屋、と各地で20 Guildersを観てきたがそれぞれゲスト参加があった。各地にてさまざまな編成が可能なこともまた20 Guildersの特長・宿命かもしれない。ただその原型(じしんの表現では《正調20Guilders》)、正真正銘、身内受けの夾雑物なしに、やくざな「魂のデュオ」を楽しんだのは今宵がお初。たっぷり70分の演奏だった。 これが実現できたのも、いやその前に、なぜに彦根かといえば、ちゃんとしたオルガナイザーがいて実現したライヴであったから。

20 Guilders レコ発@K.D.Japon

痛恨の遅刻、フリーダムの皆さん御免なさい。2000+500。すでにGofishが演奏中で残り2バンドかとおもいきや、次がもう20 Guildersだという。村上ゴンゾは単独ではなく、20 Guilders への参加であった。考えてみれば村上ゴンゾの純然たるソロ・パフォーマンスはそう簡単にはお目にかかれないのかもしれない。Gofishはすでに高円寺〜Tokuzoと遭遇済、今回はPAのせいかエフェクタが控えめ、ボーカルが生々しく好ましかった。さて20 Guildersレコ発。 "featuring 東洋之"はKDJapon名物。くっきりと陰影をつける役。しかも今宵は村上ゴンゾも加わる。曲が終わっても尾を引くゴンゾさんの電子音が夢(悪夢?)のように奇妙な余韻を残す。

  • 20 Guilders - s/t (Guune Casette)

さんましめさばの新作

  • さんましめさば - Live (CDR) タケヤリさまから届く。これは8月13日Helluva Loungeで行われたライヴ盤。河端一をして《いやはやその音を目の当たりならぬ耳の当たりにして唖然愕然、昨今流行かと思しき所謂フォーク系アングラ女性ボーカルの類いとは全く異なる代物にして、思わず思い浮かびしはMellow CandleやStone Angel等のブリティッシュフォークの類いに他ならず、音の佇まいは最早完璧、私個人としてはド真中もド真中、これ程の衝撃とは、音楽的には全く異なれどあふりらんぽを初観戦せし以来ならん。》と評された宵のライヴである。更にボーナストラックとして同会場で七夕のライヴ録音も2曲加えられた。この日についても《音と音の隙間の無音さえも聴かせる素晴らしき演奏、然れどこれを録音するとなれば、果たして大いに難渋せん》と評されていた。8月13日はさんましめさば初企画「あこがれの風来劇場」、対バンには村岡ゆか、みみのこと、河端一。河端のソロもまた下記「The Return Of The Ring」として作品化された。この日のHelluva Loungeは全篇、ただならぬ密度があった。

午後、知人の結婚式で静岡へ。もう少し早めに始まっていれば辿りつけるところがちょうど中途半端な時間に始まって遅い時間に終わり、いまから浜松で途中下車しても既にライヴもアンコールを迎えているだろう時刻。一応、録音機材など持参で臨んだ式だったが不発に終わった。

山内桂、鈴木昭男@三重県立美術館

台風もかすめて曇り空のなか、自転車で三重県立美術館へ。「ひろがるアート」展のミュージアム・コンサート。早く着いてしまってしばし待つ。ぶらりと売店に入れば、小さなプラスチックの飾りが5万円、10万円とおもいきや元永某の「作品」だった。音楽に比べると美術(アート)の錬金術度は高い。音楽というジャンルをダウンロード云々だけで語られると音楽も形無しだ。さて当初、会場として講堂が予告されていたが、当日、急遽エントランスホールから開演すると変更されていた。お目当てで来ただろう若者、展覧会を観にきた序でに偶然居合わせた老夫婦とか雑多な聴き手は慣れない人も居ようが立ち見にて、それぞれのソロから開始する。鈴木昭男は小さめなドラ焼き大の石を床に転がす。これがとてもよく転がって――石切り遊びがうまくいったように――ホールの対角線上を対岸まで。+石笛。10分ほど。吹き抜けの空間に美しく響く。山内桂はホール中央で、まるで鈴木昭男の音をそのままバトンリレーしたかのように。こちらもノンPAがホールの空間に冴える。後半、割と大きめのタンギングで。20分弱か。両者のソロが終わると皆ぞろぞろと講堂へ、出演者も老若男女もぞろぞろと移動する姿がをかし。これを《身体性》と言うのか。鈴木昭男など飄々とした風情ながら、いざというときにはてきぱきと移動する姿がおもしろかった。壇上からお二方に企画者の藤島寛が加わった鼎談。なんでも今年4月、cafeシマダ輪店でのライヴに同氏が偶然に出会ったことが今回の企画につながったという。たしかにそんな客が居たっけ。そのフットワークの身軽さと、こうして形として僕たちに与えてくれたことにあっぱれ。だがその功を差し引いても企画者がしゃべり過ぎではないか、そもそもいったい如何なる人物なのか。最後にデュオ。20分ほど。これもエントランスホールでやるべきだったけど、もう一度ぞろぞろ移動は避けたかったか。終演後に質疑応答コーナーさらに鈴木昭男が下関のローカルTVニュースで取り上げられたときの映像をプレイバック、弥生時代の石笛を求めて山陰海岸を1000km自転車の旅を終えた取材を観ることが出来、3時から5時閉館近くまで、とても無料とは信じがたい至れり尽くせりであった。いったいこの企画の会計を知りたい気がする、nobirockの例に倣って。そういえばnobirockさんも先ほどのcafeシマダに居合わせていたと後に知った。さて最前列で鼎談に臨んだものの途中でうとうとしてしまったので再現できないが、山内桂の演奏が美術館対応可能であったように、インプロヴィゼーションと離れたところに立脚しつつ、かつライヴの場での作品化する方法(salmosax)を持ちえているということか。自然Natureへの安易な回帰を否定していた山内の言葉は力強かった。最近のおなじみの例を出せば、スミス記念堂でのミュージック・インスタレーションである。これは記録こそしたとしても、作品=パッケージ化は難しい。だからというわけではないが、インスタレーションは別の感動という気がする。