タンゴ・・・世紀を超えて(ピアソラ関連の前に)

  • セサル・オルギンと仲間達 - ノスタルヒアス(TKF2838, TAKE OFF)
  • スピタルニクとビエン・ミロンガ七重奏団 - レクエルド(TKF-2813,TAKE OFF)

年末、テイクオフからセールのDMが届いていた。このレーベルは当方二十代からコンタクトを続けており、おつきあいは長い。どの業界も不況なのか、インディーレーベルのセールが目立つ。しかしお得意様に対するセールというのは効果的だとは言い切れない。当方のように「まじめな」買い手はめぼしいものは各自入手済みであっていまさら「安いから」という理由で触手が伸びるかどうか、ということになる。また市場の中古価格も暴落することも覚悟であろう(その好例はアルケミーレコードだ)。同社のラテン物は既にほとんど手元にあり、このような条件に合致している。だが最後の砦が残っていた。タンゴ、である。主宰する竹村淳さんもこのジャンルの困難さをわかっていただけに同社のリリースするタンゴ物に注目しておく必要もあったのだが当時はまったく萱の外、だった。でもセサル・オルギンは既に一枚『秘密のタンゴ』という内省的なアルバムを所持していた。スピタルニクと言っても復活以前のことをよく知らぬ。ただし凡庸な演奏に聴こえないのは編曲を含めた技か。正直なところ、タンゴ通となりえないであろう当方には宝の持ち腐れとなる可能性もある。《私にとってのタンゴはピアソラ、プグリエーセという「個人名」と自分との関係性のみで成り立っている》(齋藤徹)のだから。とはいうものの、セサル・オルギンの資料が乏しくてネットで探したらこんな本がみつかったので古本で求めた。

世のタンゴブームの余波を受けた熱気も冷めやらぬ時期の出版である。《正統派タンゴ・ガイド》(帯より)と銘々しているとおり、名曲○選なども披露されている。「セサール・オルギン・インタビュー」じたいは僅か2ページ、目次ではオミットされてしまったくらいの扱いだ。だがしかし、である。正統派というにはあまりに個性的な中身にほくそえむ。このあたりからピアソラ追体験しようとする当方の意図の方向が狂ってきた。『闘うタンゴ』上梓直後であったためか、他のアーティストとは桁外れの扱いで10ページも、いや10ページにまで凝縮されてしまった「ピアソラの生涯」、続く「ピアソラCDガイド64」は《ほとんどが入手可能》の謳い文句がいまとなってはまぶしい(そのほとんどが現在廃盤ゆえ)。さらに白眉は「加藤登紀子インタビュー」いやそれよりも「あがた森魚インタビュー」などなど。これらすべてに関与されたのは斎藤充正さんだ。こうなるとセサール・オルギンはどうでもよくて(失礼)あがた森魚×斎藤充正の組み合わせが気になる。このインタビュー当時で12年の歳月が流れている。遡れば「バンドネオンの豹」に辿りつく。このアルバムのことをすっかり忘れていた。リリース当時一曲多いCDだけでなくLPも求め、なぜかあがた森魚の高価なファンクラブにまで入ってしまった契機となった作品。幸い実家送りの刑とはならなかった一冊を思い出し屋根裏から発掘。「菫外國」その第3号は「バンドネオンと豹」特集。当時、幼心にもはらはらどきどき読んだ覚えのある書物。そのきっかけは少々思い出せる。社会人入り立てか素浪人時代か、夜中にふとテレビのスイッチを入れると、思いがけずバンドネオンが聞こえてきた。バーコード予約ではなくて偶然に飛び込んだ映像ほど印象的なものはない。何かに取り付かれたように汗だくで、しかも日本語でタンゴを歌う男性がブラウン管に映し出された。地方民放局の自主制作番組ではなかったか。ほう、これがあがた森魚のタンゴだ。この夜の映像は強い印象を与えた。これが「バンドネオンと豹」の購入につながっていった(はず)。オリジナル曲も知らずに聴いていたのだから、いまでも「ウノ」を聴けばまずあがた森魚を思い出す。あがた森魚のオリジナル歌詞を思い出す。とはいえ、あがた森魚を現在まで追い続けているかといえば否、ワールド・ミュージックあたりでフォローアップは止まっている。氏の全活動の中でタンゴだけに激しく反応してしまったわけだ。(だらだらとつづく)