小西康陽VS河端一

おかしなタイトルだと思われるでしょう。その文字通りの事態となったことがあるようです。2006年6月フランスでのこと、パリで行われた「Nippon A Go Go」というフェスティバルで実際にタイバン?したようです(人声天語に記述あり)。しかし今回はそのフェスではなくVinyl Junkyぶりの比較について、です。小西康陽、いやピチカート・ファイヴは昭和末期、ノンスタンダードの頃から解散まで、当方のアイドルでした。東海地方限定のファンクラブにも在籍していました。なかでも小西康陽のポップスへの博識ぶりについても圧倒されました。筒美京平再発見から無数の洋楽・映画音楽・イージーリスニング・ジャズ、その極みはロジャニコか。当時一世風靡のサーバービアーの人たちと連動してなんとまぶしかったか。とはいえ当方、氏のレコード100選を順に追っていくこともできず、ピチカートファイヴの元ネタも数々知らず。つまりDJ的側面はついていくことができなかったのです。それよりも彼らの持つ音楽への貪欲な態度。唐突ですが山名昇リトル・テンポのデビュー作を《ピチカート・ファイヴのような音楽を作る情熱》云々と評しているのを読みすぐさま求めましたけれど、そんな情熱に熱くなれたように思えるのです。だから当方の好きなピチカート・ファイヴのアルバムは《仏つくって魂を求める》「ベリッシマ」とか貪欲な「ボサノバ2001」なんです。でピチカート・ファイヴ論めいたことはさておき、小西さんのレコード・ハンティングってネラってますよね。しかもレアもの。最近上梓された2冊目の本中の日記の中でも○○レコード店でアナログ数十枚ゲット、取り置きとあわせて○○万円を支払う…とあれば、DJで使えれば元も取れるわいなーなどとやっかみをいれたくなってしまいます。評論家による名盤○選といった権威づけをDJ文化?が無用にできたとしても結局、新たな名盤○選が登場しただけで…それは小西康陽個人の責任ではないのですが。
さてここからが本題です。前回のクラシック・ファンの態度、どこかで見覚えがある、と思ったら(またかと思われるでしょうが)河端一または津山篤の姿勢と似てはしないか。まず自分の耳だけが頼りであること=ガイドブックを片手にではないこと=すなわちガイドブックを作りえないセレクションであること。クラシックファンが一応クラシックと限定しているけれどもAMTの二人は全方位選択を実行している。もちろんトラッドや色物、ABBAなどコレクション的意味合いのものもあろうが、それらをはるかに凌駕する勢いで物量的にもビニール自体に接近していく。しかもそれぞれの音楽に透明な感想を持つことができるのです。一例を挙げましょう。ビーチ・ボーイズの諸作に関し、いまならば猫も杓子も「ペット・サウンズ」の名前を出すでしょうし、サイケな彼らならば「スマイル」以降のキャピトル作品を薦める文が見受けられます(不思議なことに「スマイル」断片を絶賛する声って逆に減ってしまったようなんですけれど…)。でもそれって著者がほんとうにそう思っているのでしょうか?ブライアン・ウィルソンの《物語》に影響されて、ロック史をかじってしまって(序でに高名なライターの語り口を活かして)そう決め付けているだけではないでしょうか。その点、河端一は初期こそサイケデリックだと言い切ります。彼らのコーラスはcrazyでミックスがstrangeだから、と言っています。この記述で当方ハッとしたのです。参考書片手に音楽を聴く態度に固まりすぎてはいなかっただろうかと。これらの情報元は先ほどの人声天語あるいはご本人の口から聞かれた断片からでしかなくご当人による多少の脚本もありうることを前提なのですが、それでもバーゲン箱、数セント均一がお目当てで、それも○○をこんなに安く買った、などという自慢話づくりではないわけです。いま日本いや世界で流行りつつある「紙ジャケ」など、いや言ってしまえば「リマスター」などなんぼか、という態度に惹かれているわけです。現在の当方にとって小西さんが色褪せてしまっているのは残念です。解散後の作品に輝きがみられないことも一因です。しかし大病を経験していたことは知りませんでした。2冊目の単行本、当方もサイン入りで求めましたが、これは闘病日記が読みたくてお見舞いの意味あいが大きかったというのが正直なところです。