GURU GURU祭り@Tokuzo

《Acid Mothers Styleに程遠い追っかけ記・その3》仕事を終えて近鉄にて名古屋〜地下鉄で今池。余裕にてTokuzo入り。2500円。大腿ががくがくなので今宵は三脚持参。ベンチ席を陣取る。充電が間に合わなかったので許可を得て充電器を接続(案の定置き忘れてしまったのだが)。開演前に東さんと示唆に富む話。フロアのテーブル席が埋めつくされる入り。スタンディングとならないのが残念。ウコン酎、キムチチャーハン。
Acid Mothers Temple SWR。昨夜よりツイン・ギター度、津山ボーカル度ともに上昇、《カルセール麻紀》がどうしたこうしたとか、フルートほか持ち替えが頻繁。河端さんのギター弓弾きが僅かながら挿入される、Iancu Dumitrescuを彷彿させる、と形容したところでどうなるわけでもないが、突出した存在感。
今宵も二人羽織のManiTatsu。パルス的なリズム、音色からも民俗音楽的であるが非西欧を謳うわけではない。おもしろい。このときのみ三脚をテーブルに置いて接写をめざす。
Acid Mothers Guru GuruはTokuzoスペシャル版、東洋之が加わる。東×津山×河端の組み合わせ、あのシンセ音がTokuzo場内を満たせばいやがうえでもAcid Mothers Templeを予想してしまう。とはいえ同名異バンドには既に慣れっこになっている当方、その差を探る楽しみ。以前、河端一らとの演奏ではないマニさんを観たことがあった。若者らとの共演は楽しそうであったが、技量をもてあましているようにもみえた。Acid Mothers Guru Guruでは、いや当方がAcid Mothers経由で接した大物らは《昔の名前で出ています》をかかえながら、あくまでも音の勝負に持ち込んだ=Acid Mothersの磁場に引きずり込まれて成功しているように思う。たしかにマニさんを初めとして高齢者が多いのだが、たとえばブライアン・ウィルソンがステージに立っただけでスタンディング・オベーションといった世界(業界)とは無縁だからこそ美しい。アンコールには河端の乾いたカッティングに津山さんが茶目っ気に《シンクロシステム♪エムアイジョー》と歌いあわせていく。終演後、自宅から持ち出したDVD「Dokonan」にAudreyからフランス語でサインをいただく。ウコン酎を次々とおかわりしつつも終電で帰宅。どこかで自転車の鍵をなくしてしまったことに気づく。