キム・ドゥス、渡辺勝&松倉如子@アケタの店

事情で上京。のぞみで品川下車、山手線で新宿、新南口へ出てしまったため乗り換えにとまどいながら京王線で明大前。昼どきの明大前。商店街。モダ〜ンミュージックへ。話題は健康。店長曰く、もうすぐキム・ドゥスが来店するという。えっ?佐藤行衛さん矢野敏広さんらと昼食に同行させていただく。18日(月)唯一といっていいMANDA-LA2でのライヴの打ち合わせなど。佐藤さんの通訳を挟むからではなく、話ことばは少なくも絶対の自信と信頼で結ばれた関係。当方はといえばまだ求めていなかったCDにサインをいただいた。

続いて円盤を初めて訪れる。穂高さんのCDRを代引き以外の方法で求めるため(モダ〜ンミュージックにも在庫があったと後で知る)。中央線の快速と各駅停車が異なるホームと知らずまごつく。

晩、西荻窪へ。2500 with 1drink。開演時間に余裕があればまだリハ中。麦焼酎とチャーハン。上京の予定に幸運にも発見したスケジュール、渡辺勝ソロというふれこみだったが近年の活動で予想されるように松倉如子との共演。19時45分から休憩15分をはさみ22時過ぎまで、地方では持ち時間は限られていることが多いのだが(いやワンマンのときお伺いできなかったのだが)松倉さんの歌声をまとまって聴けた。勝さんはピアノ、エレクトリックギターでバックを。親子ほど離れている関係を意識してしまうのは当方がその間に挟まれているからか。ほのぼのとした間合いだが音楽は馴れ合わず、緊張感をつくりだしている。ラスト近く「いとしい人」のできばえからも明らか。贅沢な時間。麦焼酎をおかわり。

《追記》アケタの店を訪れたのは何年ぶりか、さかのぼれば或る雪の降る晩の緑化計画、板谷博が亡くなる年の初めではなかったか(同店のHPでいまもみることのできる写真の日ではなかったか)。私は足元に注意しながら店に着いた。きょうは雪が積もったからライヴは中止のはずだったがお客が来たから始めようよ、そんなやりとりをメンバーがしていたのを思い出した。さて渡辺勝を東京で聞いたのは初めてのこと。追っかけであればリクエストもしてみたいがそんな立場ではない。それでも「東京」を聴くことができてよかった、冒頭、思いがけないコード進行から入るのだが。《最後の晩餐》《パン》《銀のフォーク》《肉のかたまり》などのフレーズから私は渡辺勝が敬虔なクリスチャンだというイメージにとりつかれた時期があった。その飄々としたお人柄に触れたのは初めて沖縄で接した夜のことだった。「いつも同じ曲ばかりじゃつまらないでしょ」云々と前置きした後、怒涛の新曲ラッシュが弾き語られたのだ。当時、東京でほぼ追っかけをされていたとちぎポップ資料館を紐解いてもその時点でまだ演奏されていないのが確認された、その一曲。《春三月》というフレーズで始まる歌は続いて《あなたは/消えた》。初めて聞く曲なのにそれだけで涙があふれた。青春の悔恨を小説で表わすのなら何百枚もの原稿用紙を埋めねばならないところ、一瞬に封じ込めていた。その初演ヴァージョンがいまのところ私の渡辺勝体験の頂点である。シル・バラッドのヴァージョンではバックが華やかすぎた。この日、四季の歌が続くとすれば「春三月」も聞きたかった。「タンポポ落下傘」もいつかピアノの弾き語りで聴きたい。
親子ほどの間柄のつづき。共演、ゲストとも異なる。渡辺勝に松倉如子が侵食している。でしゃばるというわけではないが、女は多弁で男は寡黙。(音楽のうえで)エロス的関係(対幻想)といおうか。それは渡辺勝ソロのみを期待した者にとっては面食らうことにもなる。
《更に追記》「窓の外は」をライヴで初めて聴いた。発掘音源による「ライヴ77」でお披露目になった曲。メロディアスでドラマチックな展開であり盤中でも輝いていた。しかし思いがけず生で接したこの歌は完璧だった。《君の胸にとびこむ》云々の歌詞に寄り添う必要はなく(そうであってもかまわないが)歌唱はつつましく、贅沢でいて、人生を豊かにする力があった。ご本人のサイトを紐解けばこの曲は2005年に4回歌われていったん退き、2007年11月から復活している。復活に関しては松倉如子のリクエストがあったのだろうか、上記ライヴCDを気に入ったようであるから。