藪沢小屋を発つ

mabuya2006-08-13

いったい何時間寝たのか、朝3時起床のはずだったが5時過ぎに床を離れる、まだうっすらと暗い時間、でも煙突からは既にいつものようにやさしい煙が。レインコートを着て寝てちょうどよかった。一度もトイレに起きなかった。昨夜泊まった二人連れの客もテキパキと片づけをして出て行った。既に明るくなった時間、カヤザワさん、華氏さんと3名で、朝食抜きで仙丈ケ岳を目指し出発。津山さんも最初だけ同行していただく。山を歩く津山さんをロケするためである。しかしこちらはカメラマン失格でただ被写体を追いかけるのが精一杯で津山さんの計らいに追いつかない。津山さんはアキコさんを迎える準備もあり別れて3名で頂上に向かう。発電ポンプが鳴り響くヒュッテを通り過ぎると森林の限界に達し見通しがきくようになる。華氏さんは途中咲き乱れる高山植物を丁寧に撮影しながら進む。標高最高の仙丈小屋で缶ビールを仕入れる。「頂上がみえてからがなかなか」と言われていたが自分はとても嬉しくて山頂がぐんぐん近づいていくのを感じていた。と、仙丈ケ岳と思っていた連なりは実は小仙丈であって、仙丈ケ岳はその手前であった。北アルプスのように(テレビで見ただけだけど)狭い山頂だったらどうしようと思ったら十数人が居合わすことのできる地形で、私たちは早速、朝食のヌードルづくりを開始。まず日清焼きそばUFOをつくり、そのゆで汁も捨てずに活かして(これは昨日津山さんに教わったことを応用)タイ・ヌードル+チキンラーメンの合体をつくる。Iさん手製の風除けガードの便利さが身にしみる。山頂でビールなどのんだら帰路につぶれるのではと心配していたが美味しくいただく。まだ8時前。帰りは余裕。すれ違う登山者に道を譲ったり、どんな服を着ているのか観察する。皆、関東から来たのかな(と独断と偏見で)素敵に決めているおそらく50代以上の人たち。昨日雑誌でみかけたスタイルそのままのご婦人もいる。登山路を大きく外れて歩く実年も居る。カヤザワさんは注意したいようだったが実際には独り言になってしまった。かく申す当方も山頂で油断し、高山植物を踏みつけてしまった。小屋に戻って11時過ぎ、本日帰路につかねばならない当方、アキコさんへのあいさつもそこそこに藪沢小屋を発つ。慌ててストックを置き忘れてしまった。しかしこれも津山さんの偶然の計らいにちがいない。大滝ノ頭まで皆が見送ってくれる。それにしても大滝ノ頭から小屋までこんなに足場が悪かったのか、Iさんの後について弾むように向かっていたので気づかなかった。大滝ノ頭で記念撮影をしてお別れ、単独となる。ひょいひょいと順調に降りていくがいったん平坦となった後、はたしてこの道でよかったのか心細くなる。この時間、既に登ってくる登山者はいない。ネットで印刷してきた地図を確かめながら降りる。下のほうから喧騒が聞こえてきて、北沢峠に近づいていることが確認できホッとする。
北沢峠を13時発のバスに乗るつもりであったが客が多いので臨時バスが出ることになった。12時15分発。バス内は寝ている人も多い。自分は鋸岳のえぐられた稜線にみとれたまま。仙流荘に到着して時刻表を確かめる。さてここからがややこしい。JR伊那駅まで一度バスを乗り換えなければ到着できないことを確かめると、旧町営・循環バスは出たばかりで一時間弱待たねばならぬ。しかもJR伊那駅に着いてから最初の電車に乗ると連絡がうまくゆかず特急に乗っても名古屋駅に20時近くとなってしまう。ならば名鉄バスを調べれば約半額の予算で19時過ぎに到着できることが判明。帰りはJRの乗り継ぎを楽しむはずであったが、結局名鉄バスを選ぶこととする。待合所でカレーとアイスクリームを食べる。循環バスは川沿いでなくひとつ高台を進む。ここには多くの集落があった。バスは高遠「駅」に到着。ステップを降りる際、脚がガクガクしてこけた。「駅」といっても電車ではなくバスのターミナル、懐かしい風景。高遠はもともと高遠町であったが長谷村とともに伊那市に合併された。だがバスの車窓から眺めるだけでも独自の文化圏をつくってきたことがわかる。峡谷に沿った町並み、酒蔵、漬物屋、城跡、…違う時代を訪れたような錯覚。長谷村もそうだが合併する必要があったのだろうか。JRバスで伊那駅へ。駅近くの名鉄バスセンターから高速バスの指定された最前列に乗り、16時出発。北沢峠から4時間、仙流荘から3時間かかったわけだ。後は座ったまま名古屋へ。