ダモ鈴木@Tokuzo

夕方より快速みえで名古屋へ。ウニタ書店へ立ち寄ったら中原中也の評伝(青木健著)を2冊も買ってしまう。ダモ鈴木ネットワークの最終ステージ@Tokuzo。開場過ぎて到着するが丸テーブルが2列も並んでガランとしている。ステージに近いところへ陣取る。ビール、キムチビーフン、ビール。物販にはダモ鈴木アイテムが並ぶが、津山篤でしか出品できないであろうシングル盤「ラ・ノビア」「The Samurai / anonenone」を求める。前座も一応録音ボタンを押したが1分で巻き戻した。前座が終わってまず河端さんがチューニングに現われる。ステージ上から「椅子ほしい人!」「座布団!」とオークションのようにきびきびと客席に振舞う。満員となっていたからだ。森田さんも「甘かった、テーブルを詰めて下さい」と前方より訴える。ライヴ2日前、津山さんの参加が決定し、実質「ダモ鈴木をボーカルにむかえた Acid Mothers Temple 編成」が予告されていた。ステージの進行は河端さんがつくっていた。気合いが入っていた。ただギター・トラブルがたびたび発生し気をもむ。宮下さんのギターも同じく。小泉-津山は幾度も顔を見合わせてブレイクを楽しむ。小泉さんも丸市さんも決してロック畑のノリではない。中央に位置するKeiさんのギターアンプの音量がとりわけ大きく、耳がイカレル。津山さんの参加が大きい。やはり大観衆の前のほうがいい。爆笑MCに始まり「後で歌えないから」と怪しげに(期待どおり)唄を聞かせたり、演奏の途中にアンプに座って新聞を読んだり、と大活躍であった。河端一の持論をなぞるだけだが、これこそジャーマンロックの目指していたものではなかったか、と思う。Acid Mothers Temple とはいかにして成立したかを垣間見た気がした。ギターこそ破壊しなかったが、河端さんが小泉さんのドラムセットになだれ込み、小泉さんもセットを蹴飛ばして終了。10時の門限に十分余裕のある時間だったが満足、その後一時間ほど滞在し、近鉄特急の最終で帰った。