本書が出版予告が最初に載ったのは何年前か。単に寺島珠雄だからというわけではなく、石野覺宛であることが、当方にとって必携の出版であろうと踏んでいた。書が届き、慌ててぺらぺらと繙けば、案の定、当方の名前は本書に登場していた。読み流せば取り立てて無視できるような記述だが、寺島の表現は、当方が石野氏になにやら迷惑をかけてそれを労わっているようなのだが、ここで弁明/説明すれば、石野氏に氏が編んだ『寺島珠雄詩集』を注文した(せがんだ)だけである。が。もちろん品切であった故にわざわざ私家版として一部、上梓していただいたのである。石野氏とはいくつか文通したが、当方の怠惰から中途となってしまったことが悔やまれる。
寺島珠雄には一度だけ会ったことがある。それも沖縄・コザで。まだ那覇に移る前の、宮里榮弘芸能館で。隣りのテーブルで、若い女性らに囲まれ、カチャーシーで場を盛り上げ、人望を集める「ツカサセンセイ」と呼ばれる人物が気になった。その集まりに初老の男性も同席されており、彼が寺島珠雄であった(ちなみにどこかの大学の「ツカサ教授」率いる研究室のうちあげか、と勘違いしてしまったのだが、帰宅後すぐに「小浜司」氏とも初対面ということになったのだが)。コザへ移動する直前、那覇のゲット・ハッピーレコードにてたまたま「アナーキズムの内外で」というイヴェントのフライヤーに会っていたから。何よりも当方、単身ではない滞在だから、スケジュールの変更はできず、参加はかなわかったのだが。帰宅後、当時はまだ簡単に入手できる環境であった寺島珠雄の諸作を求め、本人に手紙を出し、「低人通信」の〈不定期〉購読者となった。