秋の隙間のために@Lucrezia

浜松に停車するひかりで。マイク用の9V乾電池が減弱していたことを思い出し今回もまずEdenへ寄り、サゴーホテルにチェックインだけ済ませてからLucerziaへ。1000+500円。今宵の企画は望月くん。いつも静岡で客数にこだわることなくコンスタントにライヴを行ってきた。その番外=浜松編。同じ静岡県でも当方からすれば距離感がだいぶ異なる。トップは望月治孝。初期、といっても出会った3年ほど前の時分、望月君は1セットをいくつかのパートに分けて、As〜弾き語り〜Asとかピアノ〜Asとか、ひとつの楽器が持続するのは10分以内、当方など《デジタル世代のインプロヴィゼーション》と詠んだ覚えがある。しかし今年に入ったあたりからか、歌をいったん封印し(たように思える)1セットを1呼吸で演じるようになった。今宵もAsのみ、とはいえまずAsのレバーの開閉音のみから始まる。はぐらかされたようにも感じるかもしれない、しかし彼独自の方法だ。隙間の多い演奏をSaxのみで30分ほど。ビデオが準備できなかったので音のみ残す。久々に聴くキキミミズ。今宵はエレクトリック・セット。思いがけない音量。エレクトリックなフォークではない。美しいフィードバック音とインプロヴァイズ、そこに歌が連なっていく。抽象名詞を多用した、硬質な歌詞は日常を越えて心地よい。私は「歌」が終わって拍手してしまったが、ちょうどクラシックの楽章の間のように、即興と歌とフィードバックが等価に、本来ならば一息で終盤を迎えるべきだったかもしれず。馬場陽太郎。一年半ぶり。冒頭、カバーはフェアポート・コンベンション、後で伺えばリハビリという。そして旧作を丁寧に歌う、エンディングのみ爆音。ちょうどpink lady remonadeのように彼の個人史と切っても切れない変奏曲か(なぜか馬場君のみ録音失敗)。さて本邦初公開といっていい、白旗丘ソロ。いったい何をやるのか、事前の情報は周到に漏れることなく臨む。向かって右向きに据えられたDsセット、マイクを引き寄せるのでMCから始まるのかと思いきや深みのある、おちついた声が既に開演であった。スネアに手製で製本された小冊子が開かれていて、その「朗読」なのだ。最近、寺山修司のラジオドラマなど親しんでいたのでなにやらその方向と重ねて聴いていたのだが、この朗読をいったん終えると爆音のスネアからDsソロが行われた。ワイヤーほか小道具のない、いや朗読の詩の情景描写を目指したようでもあるがいったんその解釈は自由、バンドでの定型から離れてハレーションを起こさせる、まぶしいDs。ソロの味だとおもう。ご本人はパフォーマンスというがその言葉にまとわりつく突拍子さ、新奇さとは無縁であった。小冊子は著名な一詩人の作品で彼が好きな作品をありあわせの用紙にわざわざ書き写したものであった。しかし当方には、密かに限定自費出版された、名もなき詩人を甦らせたにちがいないという誤解から逃れることができなかった。セッションにて終演。

  • キキミミズ - 日没の夢(CDR,private)3曲入りの新作。Thanks to Wada.