櫻井順と杉山登志

桜井順CM WORKSにノックアウトされた。自分でレコードを買うようになる以前、そもそも音楽番組さえ意識して観る前に繰り広げられていた世界。同じ作家の作品だとは気づかずに「鑑賞」できた時代。「春なのにコスモスみたい」が櫻井順だと知ることができた。とても悲しげで、「タイムトラベラー」と同質の、春の日の幻のような存在だと思っていたのだがこれが1973年春、小学を卒業した時期だと特定できた。ちなみに「タイムトラベラー」は1972年の冬なのだ。しかし懐かしいという言葉だけでは済まされないのが一連の資生堂もの。木曜日午後8時、TBS(実際はSBS)を家族で毎週観ていた証拠に過ぎないのに、オブセッションのようにいまも迫ってくる。「ラブリーユー」など音楽強迫状態だ。一昨年のドラマさえ見逃していたとはいえ杉山登志の存在を急いで研究せねばならぬ。まずはyoutubeか。大量にアップされていることを感謝、その源は資生堂○年史という出版物に組み込まれたVHS2本組ではないだろうか、前田美波里草刈正雄団次郎ナチュラルグロウ、サンオイル、Pink Pow Wow、Love in color、シフォネットそして「春の化粧品デー」。作家主義など微塵もなく、消費者でさえなく鑑賞した当方は大人になっても結局、ブラバスもMG5も買うことはなかったのだけれど。さて書籍。まずは「CMにチャンネルをあわせた日-杉山登志の時代」(PARCO出版,1978年)を古本で仕入れる。関係者のエッセイや本人の文集、インタビューそして作品のカラースチール写真など魅力的な構成。その中で異彩を放っているのが小林亜星のコメント。杉山が亡くなった翌年「寺内貫太郎一家」で役者としてデビューした氏ならではの突き放した評価なのだが、その中に《特にアート的なものの感覚は光っていた。桜井順さんの詩集の装幀なんか、とても感心した覚えがある》というくだりが気になった。何だろう。ネット上で探してもみる、がみつからぬ。そのうち櫻井順オフィシャルサイトを発見、そこでは《ウンコ》をキーワードに、CDの自己注釈で読むことのできる反骨精神の各論が既に展開されていた。さてプロフィールにて、その詩集とは《櫻井順》名義ではなく《能吉利人》名義だと判明した。野坂昭如の作詞家としておなじみの。こうして「CM詩集 毒」(思潮社,1969年)の美本を無事に入手することができた。序でに《桜井順》名義で上梓された単行本「オノマトピア―擬音語大国にっぽん考」(電通,1986年)も求めておいた。音としての言葉にも敏感な方なのだ。「CM詩集 毒」とは野坂昭如で展開されるブラックユーモアをシンプルな言葉で当時、同時代に同時進行で創作していたことがわかる。いまこんなことやったらすべて契約破棄だろう、おおらかな時代だった。エレックでの、そして平成時代の野坂昭如、またCDでボーナストラック扱いで収録された風刺歌に至るまで、ほんとうに一貫した人だと知り、なぜかうれしくなってしまう。さてその装幀とは、背の低いA5版のサイズのどのページにも上三分の一が空いていて何も映っていないブラウン管の輪郭が描かれている。ぺらぺら漫画のようにしても何も起こらない……と思いきや最後の数ページが例外であって……あっさりと性的なメタファーをダブらせているのだ。それと入手できなかったものとしては「職業としての広告マン―制作者の立場から」(中経出版,1978)もあり
資生堂関連で追記すれば、高林陽一が監督したアウスレーゼのCMを観てみたい、リアルタイムでは観たはずだが。