正午なり、望月治孝、二人柳、ジョージハリソン研究会@Lucrezia

連休最終日の名古屋駅、新幹線ひかりは混み合ってホームから自由席のデッキに入りきらずなかなか発車できない、ならばグリーン車のデッキへ小走りに移動、ゆったりと30分立ったままで浜松着。Lucreziaはご無沙汰、なんと8月以来、1500/2000+500。一杯目のみビール、後はウーロン酎×数え切れず。
望月治孝。歌はなくサックスのみは久しぶり。2つのパートに分けられ、乱暴にまとめれば最初は断片的なブレスの連続、後者は高音の微細な持続音からバリエーションへ発展していく。なぜ乱暴かといえば、サックスの音色を描写すればこと足りるというわけではない、望月の方法論がよく示された内容だったから。後で計れば20分に満たなかったが、もっともっと濃縮した時間を!と希望しておく。
ジョージハリソン研究会は年末の静岡以来。当時の当方には総勢5,6名のDead Men's Orchestraからの抜粋によるブルースと映ったのだが、今宵は堂々、el-gデュオとして緻密な出来であった。とりわけこれまでOrchestraでも聞き取りにくかったReiのフローティングなギターが美しかった。灰野ばりの(と形容は不要なのだが)Yamadaのgt+voとの対比が痛快で癖になってしまう。これも20分に満たず。
正午なりのライヴは昨年の当地以来1年ぶり。実は正午なりのライヴとしてもこの間行われなかったことになる。新曲は控えられ、初期の「コスモス」から「イマジネーション」「海は密室」「夢の痕跡」。ブランクを意識したとはいえ石田は上滑りすることなく抑揚をコントロールしきる。声そのものが表現であること。望月との共演は新鮮であった。なぜならばこれまで正午なりで共演するサックスの既視感を見事に外したから。次の機会、メロディアスな曲でも共演を。
二人柳は「柳茶屋マイナスワン(Ds)」の意であるが前述と同様、堂々「柳茶屋」として楽しめた。古木のソングライティングは正統派だから、彼女の歌のある限り誰とやっても「柳茶屋」は成立する。とはいえ今宵Kiraの工夫を凝らしたバッキングに耳を奪われる。アコギの爆音に見え隠れするハープ、コーラス・・・。Kiraは近年、柳茶屋のメンバーであるがかつてはUP-TIGHTのベースであった(本日求めた、UP-TIGHTファーストの復刻には彼が参加したテイクも収められている)。UP-TIGHTがらみで語られることは嫌うのを承知でいえば、現在の柳茶屋は歴史を跨いでUP-TIGHTのメンバー2人が参加していることになる。
皆に幾度も口にしたが今宵は「頭から尻尾の先まで餡子の詰まった」企画だった。望月のSAXも「声」だとみなせばどの出演者も歌うことに真摯であった。既にアルコールでカロリー満タンだったが誘惑に勝てず胡麻だれラーメンを食し、過ぎ去った11月をねぎらう。浜松泊。