再説・NEW PICNIC@太陽公園

太陽公演でプライベートに録画したビデオを再び観る。21世紀初頭の日本いや世界でもっとも磁場の強い時間が流れたのはサブステージと銘打たれた凱旋門広場、とはいえそこは同時に(どなたかが表現していたが)町内の商工会が主催したようなテントの下であって、そのさりげなさに眩暈がする。対象とするアーティストの背景でくつろぐ観客や、イヴェント目的ではない家族連れの姿をみるのは楽しい。仙丈ケ岳の津山さん映像を見慣れている嫁さんが偶然にこの映像を観て「やっぱこの人、仙人や」、一見地味ないでたちのゑでぃまあこんを観て「仲間と音楽やっている姿っていい」。たしかにゑでぃまあこんの魅力の一端を語っている、日本舞踊では「もっと前衛的な衣装だったらいいのに」いや、そんな力んだコラボではなかった。真夜中ではなく、薄日にさすテント下で自分はゑでぃまぁこんにほんたうに出会えたと思う。楽曲の魅力だけにふれれば、ジャズ寄りの武満徹のようなゴージャスで美しい。この日に持参した電源バッテリーはいつもの2本だけ、せいぜい3時間強しか録画できぬ。それで優先順位をつけざるを得なかった。できればドキュメンタリー風のショットに集中すべきで、演奏もその要素のひとつになるように撮ることはできなかったのか。アンデルセンズを追うだけでもそうできたかもしれぬ。いや、それはあのイヴェントの全体像を体験した後になって初めて思ったわけで、刻々と移り変わるタイムテーブルに、苛立ちはなく、心は漂泊の思いにとらわれた。いったんイヴェントが始まったら、自分は会場内を、とりわけ凱旋門兵馬俑坑との間を彷徨うばかりだった。すれ違う人々の中に道下さんやゑでぃの姿を幾度もみとめた。まだ粉糠雨の残る頃、後ろからゑでぃさんから弱々しい声をかけられたのは夢の中の出来事のよう。おつかれさま。その彷徨う間の日差しと、気温と、雨脚と、風と、すべてが記憶に残っている。キセキのステージが終わって兵馬俑坑から開放(解放?)されたら目の前に思いがけずアンデルセンズの行列が通り過ぎていった瞬間も忘れがたい。事前に幾度も太陽公園の説明を読み込んでいたけれども、いったいあのイヴェントはなんだったのか、いまでも言葉にできない味わいが余韻を引いている。ところでAcid Mothers Templeの映像は揺れに揺れている。馬鹿なことにワイドコンバージョンレンズを外すのを忘れて撮り始めたためにただでさえ遠方のロケーションが決定的となった。途中から汗まみれで腕が疲れてファインダーを定められなくなり、その直後、帰路に着いたのだった。兵馬俑坑の混沌とした記録はその対象物ではなく、揺れる画像そして何より音そのものにある。
円盤から代引きをここに移動して記しておく。自分が一人留守番のときに届く。一品を除いて未だに太陽公園の余韻に浸っている注文だから。

pong-kongはゑでぃまあこんの主宰するレーベル。ゑでぃまあこんの近作のうち円盤で買い洩らしていた一点はエジプトレコーズから入手できた。