利光雅之、望月治孝、dead men's orchestra@Lucrezia

開演時間から逆算して仕事を終え、重装備して浜松へ。回数券の無効な新幹線で。望月治孝くん企画「summer to be reflected in the mirror」。
利光雅之。彼の名前を初めて知ったのも望月くんから。というよりまず望月くんのレーベルから上梓されたCDRだった。手元にある2枚の作品ではエフェクタを多用した、凝った音作りがなされていて、アタッチメントに囲まれた宅録のイメージだった。ところがLucreziaのステージにはただギターアンプを随え(もちろんエフェクタもあるが)フェンダーを抱えた堂々たる弾き語りスタイル。だがまぶしいのはそれだからではない。冒頭、ハルモニウムのようなハミングから歌い始める、一曲目で引き込まれてしまう。el-gの弾き語りなのだが、アコギがエレギに替わったのではなく、そうでなければならないバランスを唄と築いている(ときどき声のバランスを崩してしまうのだが問題ではない)。ギターがファズ化するのも唐突だが必然的に。コード進行とメロディと歌詞だけを素材として取り出せば、フォークにもギターポップにも変われよう。しかし自分の中で放置されてきたものを揺り動かされるような、情熱。その歌詞ではないが《遠い/記憶の/残像》。以降、利光雅之は MC free、前髪で表情が全く確認できないまま40分間を歌った。私はふと Kevin Hewick のことを思い出していた。Ian Curtis亡き後、New Orderのボーカルとして加入する計画もあったという彼の唄と同質のものを。80年初頭、Durutti Columnお目当てで求めた「Factory Quartet」という2枚組の一面で出会った。後のヒストリー的復刻盤の自註で《不本意な発売だった》云々とありそのアルバムから選曲はされていなかった。しかしその盤に収められたどのスタジオ録音よりもエモーショナルで普遍な響きではなかったか。
望月治孝。サックスソロの前後にアコギ弾き語りを添える。弾き語りは曲目不明ながら久々のカバーという、それぞれ8月の歌とジャコメッティの歌。サックスでは微細に持続する高音から息苦しいほどのブレスへ。リードを交換することで流れが止まるのだが(それもライヴのひとつだが)今宵後半のの引用らしきパートへの展開は不十分だったように聞こえた。とはいえ全く独自の、何ものにも諂わない演奏であることには変わりない。
dead men's orchestra。Bsを中央に、Yamadaさんを左、Reiさんを右に位置づけ、UP-TIGHTのOgataさんも参加ヴァージョン。