PIR復刻の新譜

家族用の年賀状を印刷すると同時進行でDVDRを数十枚焼き続ける。これらは順次、大阪、奈良、静岡、東京方面へ出荷される予定。さらに同時にDATからCDRへ少々焼く。Phillyモノが届いてしまう。

ところが七六年から八〇年のあいだに二つの音楽的な力が作用して、ディスコを非ファンク化し、心のこもらない繰り返しの演奏の白痴的な歌詞のサウンドに変えた。いくつかの例外もあったが、結局はいま述べたようなサウンドがR&Bを圧倒してしまった。皮肉にも、その力の一つはフィリー・サウンドの音楽スタイルだった。PIRのヒット曲が持つメッセージ・ソング的要素やラヴストーリー性から切り離された過剰なストリングス、流れるようなフレンチホルン、ラテン・パーカッションだけが、ガラクタの季節のバックグラウンド・ミュージックとなった。MFSBのドラマー、アーリー・ヤングが編み出したハイハットとキックドラムの革新的なパターンはPIRの音楽の要だったが、気がつくと彼は七〇年代末のほとんどを、そのアイデアを果てしなく繰り返して過ごしていた。"Bad Luck"や、彼らの国歌ともいうべき"I Love Music"であれほど情熱をこめてプレイしたと同じミュージシャンたちが、リッチー・ファミリーやサルソウル・オーケストラ名義で、ひどく精彩に欠ける一連のレコードを製作し、結果的にはフィリー・サウンドを陳腐な存在にしてしまう役割を果たすことになった。

「リズム&ブルースの死」から