Birchville Cat Motel, Antony Miltonほか@K.D.Japon

新年ハックフィンもルクレチアも行けなかったため、今年初めての遠征。近鉄急行〜JR中央線鶴舞。駅近くの中華料理店に入る。鶏肉とカシューナッツ炒め、店の雰囲気がよいため牡蠣の黒豆蒸しも追加。入り口近くに座ったご婦人のために掛け毛布を用意するサービス。China Kitchen青蓮という店。K.D.Japon開演7PMを守ってくれる。2000+500。既にステージには重装備された機材がセッティングされている。さて外人二人が会場に戻ってくる。一人は小柄の、茶髪でモヒカン刈りくずれの前だけに残した僅かな髪の束を後ろへ廻している野郎がCampbell Knealeだ。今後Birchville Cat Motelを聴くときはいつもこの風貌を想い出すことになろう。もう一人、やや長身で長髪を無造作に束ねているほうがAntony Miltonであった。まずごあいさつと握手。
最初は稲葉一将(ts,bcl)+一瀬大吾(bass)。隣の客席に座っていた、長身でスキー帽の若者二人が「じゃ」と立ち上がり目前でウッドベースを弾きだした。とりあえずDATの録音をする。どことなく「lonely woman」とか「ornette on tennor」のにおいがする、誤解を恐れずにいえば古典的な文脈。ほっとして音に身を委ねる。このメンバーを含んで、Guyさんらが即興をやるのが2月11日(土)、大友良英New Jazz Orchestra@Touzoとバッティング。ならば、と出かける決意。
LETHE(kuwayama kiyoharu)。お名前だけは幾度も聞いてきた桑山清晴のソロ・プロジェクト。化学の実験で使うようなスタンドに高さ1mほど水平に金属棒が伸び、そこから幾本もの導線が垂れており、各々小型スピーカーコーンやらピックアップがいくつもぶら下がっている。棒の先端に蝋燭がつけられ、点火(二つのうち一つになかなか火がつかなかったが)垂れるろうが地面に置いたシンバルに落ちる、そのシンバルにもピックアップがとりつけられているのだろう・・・ライヴを説明する前にこのオブジェじたいを説明する必要に迫られる。このやり方は共通するところがあって、Antony、Campbellそれぞれが演奏する位置の周りを諸器材で埋めていた。
4年前、河端一との出会いをきっかけに、全く新たな世界が広がっていった。そのひとつがスモール・レーベルの存在。インディーズという言葉では表現できないくらい小さな、僅か1,2名が運営するレーベル。Acid Mothers Temple Soul Collective関連作品のほとんどがそのようなレーベルだということはネット抜きには考えられないとはいえ志を同じくする者がいるということ。そのひとつがロードアイランドのLast Visible Dogである。同レーベルのChrisはTsurubamiやShizukaなど日本のアンダーグラウンドをカタログに加える一方、ニュージーランドのノイズ〜ドローンものにも注目しており、小部数のCDR作品をリイシューしていた。そのオリジナル・レーベルがPseudoarcanaであり、主宰者がAntony Miltonであった。いくつか注文してみると、ハンドメイドのジャケット、スリーブの紙質、デザインなど魅力的であった(fun to hold)。音のほうはフィールド・レコーディング、ノイズに限らずギター・ドローンなど多彩で、何よりも個人がこれだけ表現しているのは嬉しいことだった。昨年末、突然のメールで来日を知った。せいぜい南半球の住人と対面できるなど予想もしなかった。今宵は発信器にバイオリンを弾く・・・テーブルの下にはスプーンやフォークを吊るして足で鳴らしていたが・・・それにオフマイクでヴォーカルも交えて差別化をはかっているようだ。この後にBirchville Cat Motelが続き、さすがに手馴れた操作で、からだを前後に揺すりながらドリーミーな音を奏で、最後にセッションが控えていた。
トップのデュオは別として同系列のジャンルが3人続いてしまうとライヴとしては単調になり、Antonyが目立たなくなってしまったかもしれない。このようなノイズ系?のライヴは初めてだった。幾分物足りなさが残った。何と比較してかといえば、2002年8月に今は無き(ではないが)Hard Rainで体験した河端一のギタードローンと比較して、である。あの体験が当方の座標軸の0点となっているのだから。まず音量。必然性のある音量、音圧、ライヴならではの音。次に響き。今宵のAntonyのバイオリンはバイオリンであった。バイオリンでしかなかった。しかし河端のギター、オーネット・コールマンのバイオリン(序に河端のバイオリンも)楽器(オブジェ?)を選ぶ段階はさほど面白くはなく、演者がいかに扱うかに尽きるから。更にいえば、ライヴ体験への幻想が当方にあり、演者の身ぶりとしても楽しませてほしいなと思う。その点、このようなノイズ?・パフォーマンスでは前提となる制約が多いように感じた。
とはいえ南の地で活動を続けるナイス・ガイに会うことができる機会をいただいたkuwayama氏に感謝したい。終演後、物販のコーナーで未入手のものを求む。Antonyは「きょうのホテル代になる」と喜んでいた。JR中央線近鉄急行最終で帰宅。駅前にタクシーなく歩いて帰る。