パーシー・フェイス・オーケストラと私

(唐突ですが)ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、カラベリときらめくストリングスのレコードは全然持っていないのにパーシー・フェイスだけはLPで数十枚、近年のcollectableからの2in1復刻盤は30枚以上、すべて求めてきた。大学に入った後でパーシー・フェイス協会(ファンクラブ)にも入会している。なぜにパーシー・フェイスか。盛んに聴き始めたのは中学の頃、当時CBSソニーの宣伝力が強く、リアルタイムで当時のアルバムをFMでよく聴いた。「コラソン」「マイ・ラヴ」「やさしく歌って」「燃える珊瑚礁」など最初に出会った曲は懐かしい。もう少し遡れば70年前後には女性コーラスを交えたサバービアでソフト・ロックな好演も奏でていた。エキゾティック・サウンドもあった。とはいえ最大のヒット曲は間違いなく「夏の日の恋」。ラジオをつけていれば日曜の昼下がり、いや午前でも「キューピー・バックグラウンド・ミュージック」あたりでかかりそうな軽音楽。ハリウッド・ドリーム。しかるに、当方のパーシー・フェイス体験は別にある。1959年の「Bouquet」というアルバム。確かにヒルトン・ホテル内BGMとして通用しそうな美しい出来なのだが中学生の当方には現実ばなれした音楽に聞こえた。いま言えるのはサイケデリックな「海の底」音楽なのである。ストリングスのひたすら、深い、深い、響き。A面など確実にどこか遠くへ連れて行く音楽だ。A面ラスト「ラ・メール」が終わってはっと現実に戻る。先日、冨田勲がラジオ番組にゲスト出演し、このアルバム3曲目の「ローラ」という曲を選んだと知り(番組じだいは逃したが)我が意を得たりであった。2曲目の余韻を鎮めるかのように静かな手探りのストリングスの導入部、艶やかとは別な、乾いた弦のメロディ、そして嵐のような終盤へ。編曲の妙やら弦楽器の演奏力やらでは追いつかない、音そのものではなかったか。冨田勲の別の回想録を引っ張れば、終戦前、米軍の航空機が岡崎に近づいてくる、そのときの低い、エンジン音。そのような音の記憶。その後というと、このアルバムほどには霊感を感じることはなかったが、総じて品Grazieのあるヒルトン・ホテルでも通用する音楽である、泊まったことはないけれど。