2525稼業〜大阪万博フィギュア

はぎさんから届けていただいた、2525稼業を車で聞く。予想しなかったモダーンで粋な出来。どのように肩透かしをくらったかといえば、マニア臭さ、通気取りなど微塵も感じられないナチュラルな響き。車内では子どもらがマイ・ブーム「アンビシャス・ジャパン」を聞きたがって邪魔されるかと思いきや、下の娘が開口一番「これ聞いたことがある」続いて息子まで「聞いたことがある」更に娘「これおもしろい(興味深い)」と最後まで聞き入った。5歳の子に既視感?既聴感?を抱かせるほどに秀逸なチルドレン・ソングとなった。
海洋堂がついに大阪万博フィギュアを発売開始する話もまたはぎさんところで初めて知った。これを聞いて回想録をひとつ。1970年、小学4年の夏休みも終わろうとしているのにまだ自由研究に手をつけていなかった自分は万博のパビリオンを画用紙で再現することをおもいたった。日本政府館、英国館、アメリカ館、ソ連館、オーストラリア館、スイス館、イタリア館そして太陽の塔アメリカ館はいまでいうドーム構造だったから細い針金を組んで下から半透明のビニルを貼りつけた。オーストラリア館は言わずもがな糸で吊り上げた。なぜにイタリア館かといえば直線の斜面から成り立って作りやすかったから。なぜスイス館か思い出せないが割りと造りやすかった。表面の電灯を何で代用したか思い出せない。まだ他にもあったようだが思い出せない。どれも自分が入館したものばかりだった。2日で完成しベニア板に載せられたその作品は学年代表で市展に移動し見事学年の部で賞をもらったのだ。学校へ戻ってきたらまもなく皆に壊されてしまった。写真が一枚も残っていない。わが心のフィギュアなのである。