高林陽一監督「愛なくして」試写会

台風が近づくが普段の雨降りより微弱。昼の部には間に合わなかったが気を取り直し、嫁さんの許しを得て夕方より京都へ。車でJR柘植まで向かい、今回は私企業の駐車場へ置き(400円)そこから京都行き普通へ。会場のアバンティホールは京都駅に隣接しているので傘も車に置いておく。草津線の途中、虹が大きくみえたかとおもったら、すぐに美しい夕焼けにうめつくされた。18時30分開演に間に合うと踏んだが、ホテル客室用エレベーターに乗ってしまい着いたときには舞台挨拶が始まっていた。他のスタッフや出演者が一通り紹介された後で監督が登場する。首をひょいと前に突き出した姿勢でゆっくりと中央へ。片手を頬にそえたまま話しぶりは簡潔ながら2年前に比べてお年を召された感があった。
2年前、まだ原将人上映の《余熱》が残っていた頃「上七軒シネマギルド」=原将人宅で定例で行なわれていた催し物に通い詰めていた。その企画のひとつ、高林陽一2デイズにも、いそいそと出かけていった。そこに集まったのは監督御当人と高嶺剛監督、原監督夫妻、あとは僅かな友人がメンバーのすべてであった。監督の映画を全く観ていない、もぐりのような当方、三巨匠に囲まれて、果たしてこの場に居てもいいのだろうかという思いでMaoriさんお手製のおでんなどつまんでいた。生身のご本人といっしょに「飢餓草紙」「西陣心中」「金閣寺」「魂遊び ほうろう」など大作を続けて観た。いわゆる商業映画も含めて一貫したまなざしがあった。死と隣りあわせとなっているなまめましさ。
今回の作品「愛なくして」は京都地元の俳優・劇団員による。以下メモ、
・劇映画だけでなく「魂遊び ほうこう」を観ておいたからこの流れは違和感なかった。ストーリーを追うと面白みは減る。画像の美しさに没頭すること。
・前作がほとんどセリフがなかったこともあるが、死ぬ、命、安楽死、人生、といった言葉が最初は耳障りだった。もう少しこれらの言葉が少なかったら。またローンの心配をしながら新聞を読む主人、入院せねばならない青年などもっと突っ込んでほしかった。
・とはいえ老人の描写が秀逸で、惹きこまれた。
・監督が配偶者を亡くしていたことは知らなかった。
・私にとってはここ2,3年の自分の動きとシンクロしたものとして受けとめたから、懐かしい作品となるだろう。原監督宅前のロケ。熊井青薩詩集『貧生』(現物を手にしている不思議さ)。
・しかしいわゆる作家主義としてのみかたには当方の力量では限界があるのではないだろうか。