幻堂チャンピョン祭り@T2楽屋

曇り。京都経由で神戸へ。ゴッホ展が開催されていることを思い出し、京都駅で前売を求め、スルーカードを使ってJR灘駅で降りるまではよかった。しかし入館するのに行列に加わり、動き出して館内に移った後も行列第二陣を経ねばならず、展示室もそそくさと通り過ぎる。つい重たい目録買ってしまう。港を眺めるのにはよい場所、ドッグ・オブ・ザ・ベイ。元町下車。ちんき堂にて雑誌「東京おとなクラブ・NHK少年ドラマ特集」「GS&POPS」「ハッスルホイ!」、戸川さまの「助盤小僧」にサインいただく。リズム・キングスにてLP「船村徹ギター大全集vol.2」「矢吹健ベスト・ヒット・アルバム」「さかうえけんいちwith瀬戸口修ファースト・ライヴ」CD「コンパイ・セグンド」。Huckleberry にてCD「サヌリムvol.4」。元町中華街で立食……いつもこんなコース。
三ノ宮。会場が本来中庭風のつくりだとは川崎日誌を読むまで気がつかなかった。富士一さまとご対面、あいさつ。「何の雑誌第5号」。「NOBARA」森元暢之さまにサインいただく(カット入り)。23:41三ノ宮発、大阪泊。

お疲れさまでした。あれほど幕の内な出し物だと――講談、紙芝居、バンド演奏、リズムボックス演奏、講談、トーク――準備、進行、片付けどれもがたいへん、かつて主催者(=裏方)をやった端くれとしてそう思います、ほんとにおつかれさまでした。《雑誌のようなイベント》とありましたが当方は《玉手箱のようなイベント》だと思いました。玉手箱じたい空前絶後だという意味で……
まず講談初体験。丸坊主の講談士(好男子)旭堂南湖。新鮮。猟奇王というネタが正統派探偵推理ものにひけを取らないストーリーであることを再確認。あたりまえか(ところで司会のお二方、急とはいえ十分に場を盛り上げてよかったと思いますが、ただ一点、南湖氏の読み方だけ失礼したと思います)。そういえば三重県名張市にて江戸川乱歩が盛り上がっている最中に登場しているのはこの御方ではないか、灯台下暗し。ところでCD前金予約しちゃいました。
森元暢之氏の創作紙芝居。作品よりも書き手本人から入っていくのはどうかと思うものの出会ってしまったから仕方ありません。パステル画のみならず紙芝居をめくる速度、清楚な語り、帽子姿、どれひとつ欠けてはいけない森元氏の世界に出会ってしまいました。しかしながら当日買った単行本を開いたところへ、あの腰の低さでさらりと顔射のカットをサインしてくれるのはどういうことでしょう、今後、要注目です。
寄せ場科学。まったくノーマークでした。いかにもロッカーといういでたち、キーボードが女性という編成は今ではださい、と思いきや音楽は決して何かをなぞったふうでない、オリジナリティがありました。キーボードもしっかりサイケの音を散らしていて驚き、リズムもどこかアクあり。烏の掲示板でからす氏が「懐かしい」と評したのに同感、でもそれは懐古的懐かしさではなく、記憶の闇に向かう懐かしさなのだ!同じ掲示板で皆「音が大きい」やら「ドラムスのマイクが少ない」やら文句たれたれだが、御当人に申し訳ない!そう、あの客層で前後の分類しがたいアーティストに挟まれ(こんな対バンはありえない)しかも短い持ち時間という悪条件下でよくぞ堂々と演奏をしてくれました。会場が悪い、PAが悪い、遂には客が悪かったなどと言い訳する輩が多い中、立派な仕事をしていただいたと思う。片付けもたいへんなのに。あっぱれです。ところで彼らを説明するのに《情念》とかフレーズ要らないと思うのですが。
中野りうし。言=文=行=音一致という仮説、証明されたみたいです。とはいえリズムボックス使用のライヴって緊迫感ありました。ライヴハウスは初めて、と前口上に続けて確か、こういう悪い雰囲気と言ってのけたのはスルドイ。それにCDよりライヴのほうがひりひりする表現があらわになったようでよかった。もう少し聴きたいところで終わるのもよし(寄せ場科学と言ってることがちがいますが……)。ちなみに親元を離れて生活する態度もよし。
映画。「東洋の怪人・二〇加王」。初めて観ました。冒頭、駅のシーンから、そして、あそこが母をみつめるシーン、二〇加王が笑い、皆が踊るシーン、それぞれ鳥肌が立ちました。赤土監督の世界、少しみえてきました。今回は映像も詩的だし、テーマは切ないし、異型なものへの畏れと執着、「映画」でなければ表現できない世界です。そしてあまりに印象的な、高らかな笑いの反復、音頭というより念仏踊りのような、伊福部昭のオスティナートのような、悪夢のように反復して迫ってくる二〇加王。(申し上げにくいですが)ここでは山中氏の音楽も重要な位置を占めています。先だって送っていただいた弥磨那香代詩阿輝全集で聴いてきた音が映像と重なり、めまいがしました(感動したという意味です)。
ここで当方が映画について語れば唇寒し、自らは「つくる」立場でもなく、かといって年間百本観たのは学生時に限られるし、たまたま40代になって京都在住の作家にファナティックに熱中してきました。また仲間が集まって楽しむ映画ごっこ、という世界があることはちらちらと聞いたことがあります。先日ニュース・ステーションでも仲間で特撮ごっこの8mmやっているのを紹介していましたが、それはちょっとちがう、と思うものでした。しかし。幻活映画は「トホホ」とか「脱力」という言葉でごまかしてはいけないという思いを今回、強くしたのでした。藤田哲さまの幻堂評論がきっかけとなったのですけど(ご紹介ありがとうございました、フットワークのある方なのですね)。「いちご」なんて三重県では絶対見る機会がなかったです。ただし一言「昭和エレキの音楽使用はずるい」。
当方にとって初めての〈生〉幻堂体験。なぜにもっと早く気がつかなかったのかと思いますが、出会いとは偶然と必然のからみゆえ、42にして惑いながらT2楽屋へお伺いできましたことを喜びたいと思います。
本来ならば、中野さまとお話したかったですがこれは次の機会に。